1981-03-07 第94回国会 衆議院 予算委員会 第20号
ほら、金子岩三さんから今井勇さんから三善信二さん、中村太郎さん、たくさんいる。こういうようなものをばらまいたり、あと宮田輝さんのこういうやつを載っけたり。これは初代会長はどなたですか。
ほら、金子岩三さんから今井勇さんから三善信二さん、中村太郎さん、たくさんいる。こういうようなものをばらまいたり、あと宮田輝さんのこういうやつを載っけたり。これは初代会長はどなたですか。
昭和五十四年三月二十七日(火曜日) 午前十時九分開会 ————————————— 委員の異動 二月二十三日 辞任 補欠選任 降矢 敬雄君 田代由紀男君 二月二十七日 辞任 補欠選任 安恒 良一君 阿具根 登君 三月一日 辞任 補欠選任 竹内 潔君 三善 信二
すでに御承知のことと存じますが、本委員会の委員でございました三善信二君は、去る七日、逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君は、昭和五十二年当選以来、一貫して外務委員として職責を果たしてまいりました。ここに皆様とともに同君をしのび、謹んで黙祷をささげ、心から哀悼の意を表し、御冥福をお祈りいたしたいと存じます。 それでは、皆様の御起立をお願いいたします。黙祷。
昭和五十四年三月二十日(火曜日) 午前十時一分開会 ————————————— 委員の異動 三月二日 辞任 補欠選任 竹内 潔君 三善 信二君 三月七日 委員三善信二君は逝去された。 三月九日 補欠選任 志村 愛子君 ————————————— 出席者は左のとおり。
三善信二君が逝去せられましたことに伴うその補欠として、去る九日、志村愛子君が選任されました。 —————————————
昭和五十四年三月十六日(金曜日) 午後一時十分開会 ————————————— 委員の異動 三月七日 辞任 補欠選任 三善 信二君 長田 裕二君 ————————————— 出席者は左のとおり。
皆様すでに御承知のとおり、本委員会委員でありました三善信二君は、去る七日、病気のため逝去されました。まことに哀悼痛惜にたえません。 ここに、委員各位とともに謹んで黙祷をささげ、御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。 御起立をお願いいたします。黙祷を願います。 〔総員起立、黙祷〕
ただいま申し上げましたとおり、三善信二君が逝去されましたのに伴い、委員一名が欠員となっておりましたが、去る七日、その補欠として長田裕二君が選任されました。 —————————————
○事務総長(植木正張君) 本院議員三善信二君には、去る七日午後三時十六分、悪性リンパ腫により、東京慈恵会医科大学付属病院にて逝去せられました。謹んで御報告申し上げます。 つきましては、お手元の資料のとおりの弔詞を、去る十三日にとり行われました葬儀におきまして贈呈いたしました次第でございます。
○菅野儀作君 本院議員三善信二君は、去る三月七日、悪性リンパ腫のため、東京慈恵会医科大学附属病院において逝去されました。まことに痛惜哀悼の念にたえません。 私は、ここに、皆様の御同意を得、議員一同を代表して、故三善信二君のみたまに謹んで追悼の言葉をささげたいと存じます。
昭和五十四年三月十六日(金曜日) 午前十時四分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第九号 昭和五十四年三月十六日 午前十時開議 第一 議員派遣の件 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、故前衆議院議長衆議院議員保利茂君に対し 弔詞贈呈の件 一、故衆議院議員成田知巳君に対し弔詞贈呈の 件 一、故議員三善信二君に対し弔詞贈呈の件
○議長(安井謙君) 議員三善信二君は、去る七日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員従三位勲二等三善信二君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます —————・—————
昭和五十四年三月一日(木曜日) 午前十時八分開会 ――――――――――――― 委員の異動 二月二十八日 辞任 補欠選任 佐藤 昭夫君 立木 洋君 三月一日 辞任 補欠選任 三善 信二君 竹内 潔君 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
昭和五十四年二月二十二日(木曜日) 午後零時二分開会 ————————————— 委員の異動 十二月二十二日 辞任 補欠選任 熊谷 弘君 三善 信二君 十二月二十五日 辞任 補欠選任 三善 信二君 熊谷 弘君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昭和五十四年二月十五日(木曜日) 午後一時九分開会 ————————————— 委員の異動 十二月二十三日 辞任 補欠選任 相沢 武彦君 塩出 啓典君 十二月二十五日 辞任 補欠選任 田代由紀男君 秦野 章君 熊谷 弘君 三善 信二君 竹内 潔君 徳永
昨年十二月二十三日、相沢武彦君が委員を辞任され、その補欠として塩出啓典君が、十二月二十五日、田代由紀男君、竹内潔君及び熊谷弘君が委員を辞任され、その補欠として秦野章君、徳永正利君及び三善信二君が、また、十二月二十六日、上田哲君及び川村清一君が委員を辞任され、その補欠として勝又武一君及び小野明君が、それぞれ選任されました。 —————————————
理 事 戸叶 武君 理 事 渋谷 邦彦君 安孫子藤吉君 大鷹 淑子君 徳永 正利君 秦野 章君 二木 謙吾君 町村 金五君 三善 信二
昨二十二日、徳永正利君、三善信二君、小野明君及び矢追秀彦君が委員を辞任され、その補欠として竹内潔君、熊谷弘君、川村清一君及び相沢武彦君がそれぞれ選任されました。 ―――――――――――――
久次米健太郎君 古賀雷四郎君 佐々木 満君 田代由紀男君 秦野 章君 原 文兵衛君 藤井 丙午君 三善 信二君 森下 泰君
理 事 戸叶 武君 理 事 渋谷 邦彦君 安孫子藤吉君 大鷹 淑子君 徳永 正利君 秦野 章君 二木 謙吾君 町村 金五君 三善 信二
久次米健太郎君 佐々木 満君 田代由紀男君 秦野 章君 林 寛子君 原 文兵衛君 藤井 丙午君 三善 信二君 森下 泰君
昭和五十三年十一月七日(火曜日) 午前十時四十五分開会 ————————————— 委員の異動 十月二十一日 辞任 補欠選任 増岡 康治君 三善 信二君 竹内 潔君 原 文兵衛君 熊谷 弘君 藤井 丙午君 十一月七日 辞任 補欠選任 三善 信二君 成相
去る十月二十一日、増岡康治君、竹内潔君及び熊谷弘君が委員を辞任され、その補欠として三善信二君、原文兵衛君及び藤井丙午君が選任されました。 また、本日、三善信二君、藤井丙午君、林寛子君及び佐々木満君が委員を辞任され、その補欠として成相善十君、金井元彦君、増岡康治君及び竹内潔君が選任されました。 —————————————
原 文兵衛君 秦野 章君 十月三日 辞任 補欠選任 菅野 儀作君 原 文兵衛君 十月九日 辞任 補欠選任 久次米健太郎君 塩見 俊二君 十月十三日 辞任 補欠選任 塩見 俊二君 久次米健太郎君 十月二十日 辞任 補欠選任 三善 信二
本日、原文兵衛君及び三善信二君が委員を辞任され、その補欠として竹内潔君及び増岡康治君が選任されました。 —————————————
昭和五十三年十月十九日(木曜日) 午前十時二十分開会 ————————————— 委員の異動 十月十八日 辞任 補欠選任 降矢 敬義君 徳永 正利君 玉置 和郎君 三善 信二君 上田耕一郎君 立木 洋君 秦 豊君 田 英夫君 ————————————— 出席者は左
昨十八日、玉置和郎君、降矢敬義君、上田耕一郎君及び秦豊君が委員を辞任され、その補欠として三善信二君、徳永正利君、立木洋君及び田英夫君がそれぞれ選任されました。 —————————————
昭和五十三年十月十九日(木曜日) 午前十時五分開会 ————————————— 委員の異動 十月十七日 辞任 補欠選任 勝又 武一君 高杉 廸忠君 十月十八日 辞任 補欠選任 三善 信二君 玉置 和郎君 ————————————— 出席者は左のとおり。
広田 幸一君 安恒 良一君 渡部 通子君 小笠原貞子君 柄谷 道一君 下村 泰君 ————————————— 委員の異動 十月九日 辞任 補欠選任 玉置 和郎君 三善 信二
去る十月九日、玉置和郎君が委員を辞任をされ、その補欠として三善信二君が選任をされました。 また、昨十六日、高杉廸忠君が委員を辞任をされ、その補欠として勝又武一君が選任をされました。 —————————————
昭和五十三年十月十二日(木曜日) 午前十一時四十二分開会 ————————————— 委員の異動 十月三日 辞任 補欠選任 亀井 久興君 二木 謙吾君 十月九日 辞任 補欠選任 三善 信二君 三置 和郎君 十月十二日 辞任 補欠選任 和田 春生君 柳澤